La cadetta Yumikko

ソプラノ歌手 森有美子 オフィシャルブログ

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3月11日

あの時、私はちょうど結婚式の仕事の最中でした。全ての儀式を終えて、バージンロードを退場しようとする新郎新婦。その時に揺れが。式中に揺れが来ることは今までも何回かあったので、私たち聖歌隊もすぐ収まるかな、とそこまでは危機感を感じずに演奏を続ける。でも、新郎新婦が退場してバージンロードを歩き終える頃には揺れがどんどんひどくなり、私たちも祭壇上で立っているのが困難に。そうしてるうちに、通路横に吊るしてある複数のライトがぐらんぐらんと大揺れ。後ろから見ていたアテンダーさんによると、祭壇上のパイプオルガンのパイプも、今にも倒れそうに大揺れしていたそうです。そこに至ってようやく避難が必要と気づき、慌てて列席者を誘導して避難を開始。幸い、そこの会場はすぐに外に出られる構造になっていたので、すぐに避難することができました。

でも、その時点ではまだどれくらいの規模の地震なのか全く情報がなかったので、新郎新婦さんも、今日はある意味一生忘れられない結婚式になりましたね~なんて笑って周りのみんなと話しているくらいでした。でも建物はまだ断続的に揺れていて、まるで船上にいるような感じ。時折、ふっと心臓がドキドキして息が苦しくなったりもしたけど、仕事中であるという意識もあって頭はとても冷静に働いていた。そうじゃなかったらパニクっていたかも。でも、お客様から離れてプライベートに戻った途端に足がすくんでしまったけど。

その後、会場を後にする直前に大き目の余震が来て、慌てて会場を出る私たち。その後はとりあえず友人3人で最寄の駅まで歩いて様子を見たものの、運転再開の見込みはつかないということで、ひとしきり公衆電話で親や親戚の安否を確認したあと近くのファミレスで時間をつぶす。とりあえずなんだかそこでほっとしてお腹がすいたので、カレーを食べたりしながらワンセグで情報を集める。1人の友人は旦那様となかなか連絡がつかず焦ってたけど、スマートフォン同士でつながらなかったメールが、もう1人の友人のドコモからはちゃんと通じたりして、なんとか連絡も取れました。その頃になってようやく気も緩んで“あの時、あの状況でよく歌ってたよね、私たち”なんてことを笑って話したりもする。まだこの段階では首都圏はそこまでは深刻な状態になってはいないだろうと、事態をそこまでは重く捉えていませんでした。

その後、夜の7時くらいまでそこで待機して様子を見ていたのだけど、私たちが到着した時にはガラガラだったファミレスに後から後から人がやってきて待っている人がどんどん増えてきたことや、JRは終日運転を再開しないという情報が早い段階で発表されたこともあり、近くに住む友人宅に身を寄せてテレビやネットで情報を収集することに。そこでワンセグで見ていたものとはまた違う、生々しい凄まじい光景を目の当たりにして、言葉もなくす。結局その日のうちに帰宅するのは難しいと判断して、そのまま友人宅に留まらせてもらうことに。さっきファミレスでしっかりご飯を食べておいて本当によかったと心から安堵。

友人宅に身を落ち着かせるも、ツイッターやミクシイでいろいろな情報が入ってくるのを見るにつれ、被害の大きさや、被災地から遠いはずの首都圏ですら多くの路頭に迷う人々の姿があり、不安や心配は募るばかり。そして改めて、この非常事態の中、一緒に過ごすことのできる友人たちがいてくれることを心からありがたいと思う。例えば高層ビルでの仕事の最中だったら、地下鉄の中にいたら、私は一体どうしていただろう?そう考えると本当に怖くなる。

寝床についても、時折携帯の警報で目が覚める。私は初めて経験したのだけれど、大きな地震の警報の時にはマナーモードにしていてもぷわんぷわんとけたたましい音でで地震速報のCメールが届くのだ。長野や福島、茨城などで続いて起きている大きな地震の速報が明け方に何度も鳴り響く。速報と前後してこちらにも届く揺れ。震源地は段々南下し、朝には東京湾でも地震が。。

次の日はオペレーターの仕事だったけれども、出勤は各自の判断に任せるとのことだったので欠勤させてもらい、結婚式の仕事の方の欠員を埋めるために出勤することに。地方に行っていた聖歌隊で都内に戻れなくなっている人が出てしまったのだ。しかしそれも後になって連絡が来て、私が向かう予定だった会場は式が延期になったとのこと。本人たちは首都圏にいてもやはり親族が出てくるのが難しいだろうと思うし、まだまだ余震が続く中、こういう判断って本人たちも、式場関係者も、すごく難しいだろうな。

そんな訳で運転を再開した電車に乗ってやっと家に戻り、軽くご飯を食べてお風呂に入って一息つく。私の両親も兄も姉も姉の子供たちも、そして茨城のひたちなかにいる母の実家の人たちもみな無事が確認。最近関わっている日立の子供たちによるプロジェクトの関係者の無事も確認はできたけれど、日立市は電気もガスも水も止まってしまっている状態だそう。。(後に夜には復旧予定との情報は入りましたが)

新聞からもニュースからも悲惨な映像、悲惨な情報しか流れてこなくて、ネットでも正しい情報間違った情報どちらもが莫大に流されて情報が混乱している。多くの人が苦しみ、多くの人がそんな人々を救おうと頑張っている中、自分は何もすることができず、無力感に呆然となる。簡単に、音楽で人を癒せる、元気付けられるとは今はとても思えないけれど、でもいつか音楽が必要になった時にいつでも心からの音楽を与えることができれば、と切に願う。

でもまずは。自分がこの悲惨な状況に参らないで、何かできることが見つかったときにすぐに動けるよう、自分がまず元気でいること。それがまず1番にできること、やるべきことなのではないかと思う。被災地にいる人じゃなくても、この映像を見ているだけで受けるショック、ストレスはかなり大きいものだそうで、知らない間に神経が病んでいって、大きなストレスにになってしまうそう。それをちゃんと自覚することだけでも、今の自分のショック状態を和らげる手助けになるそうです。まずは自分がちゃんとご飯も食べて、心も体もしっかり整えて、自分に何ができるかをしっかり考えていこうと思う。

ニュースを見ていたら、岩手で旅館に閉じ込められていたところを助けられたおじいさんがテレビに向かって素晴らしい笑顔で“前にもチリ津波経験してるからこんくらい大丈夫!また再建すればいいんだよ”って。そばにいたおばあさんも“再建しましょう!”と笑顔。悲惨な映像しか流れないニュースの中で本当に光が射したかのような劇的な瞬間。1番辛い立場にあるであろう被災地の人に、こちらが力づけられるなんて。

他にも避難所で元気に遊びまわる子供たちの姿を見て、その姿に励まされたりもしたけど、でも昼間は元気に遊びまわっている子供たちも、やはり被災時のショックや抱えているストレスはかなりのものなので、精神的なケアがこれから必要となってくるでしょうとのこと。これから夏の公演に向けて一緒に作品を作り上げようとしている日立の子供たちと共に頑張ることで、日立の人たちの力になれるよう、まずは私が元気で、笑顔でいられるよう、1日1日大事に頑張って生きたいと思います。
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プロフィール

Yumiko Mori

Author:Yumiko Mori
森有美子(ソプラノ)http://twitter.com/yumikomori
東京音楽大学声楽演奏家コース卒業。東京音楽大学卒業後、東京芸術大学音楽学部声楽科を経て2002-03年度ロータリー財団国際親善奨学生としてイタリア・ローマのAccademia Internazionale di Musicaへ留学。帰国後、東京芸術大学大学院古楽科バロック声楽専攻修士課程に入学。特にバロック初期のイタリア音楽を専門に研究し、修士課程を修了。宗教曲、バロック音楽からオペラ、現代曲の委嘱作品の録音など幅広いレパートリーをこなす。2010年には金子みすずの詩集による歌曲集「わらひ」(久保田翠作曲)CDもリリース。また、デュオアンサンブル「Gemelli」、トリオアンサンブル「La Musica Secreta」、リコーダーアンサンブル「Ederebivere」などを結成、様々なタイプのアンサンブル活動にも力を入れている。日本ヘンデル協会、日本イタリア古楽協会会員。趣味は美味しいものを食べること、いろいろなお菓子を作ること。将来、カフェを併設したコンサートサロンを経営するのが夢。

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